逗子の公園

海の街、神奈川県逗子市の公園をご紹介するブログ

【ベンチで雑談】小坪飯島公園のまわりの史跡チェック!

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 こんにちは、公園好きです!みんさま、お元気ですか?

 今日は、小坪飯島公園のベンチに腰掛け、海を見ながら雑談です。

 小坪は、源頼朝の愛妾(あいしょう)であった亀の前(かめのまえ)が住んでいたとされるところです。源頼朝(1147-1199)は、正妻である北条政子(1157-1225)の目を盗んで、足繫く小坪に通ったそうな・・・。

 歴史にゆかりがある地であるせいか、飯島公園の近くには、史跡が点在しています。少し、まわってみたいと思います。

和賀江島

 まずは、和歌江島(わかえじま)。1232年(貞永1)に、執権北条泰時(1183-1242)の援助により完成した築港跡で、現存するものとしては国内最古なのだそうです。公園のすべり台のそばの海側のフェンスに、説明ボードがありました。

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和歌江島についての説明

 この説明ボードのちょうど前方、海の中に和歌江島はあります。満潮の時は見えませんが、潮が引くとその姿を現します。わたしが訪れたときは、干潮ではありませんでしたが、運よく潮が引いていたので、島を見ることができました。すべり台のうえからの眺めです。画面中央右の海の中、小石が集まってできているのが和歌江島です。周りには、左から、富士山、その左下に江ノ島、富士山の右下にポコッと突き出しているのが稲村ケ崎です。雲が多かったですが、風が北東から吹いていたからでしょうか、空気が澄んでいて、西側の景色がよく見渡せました。いいね!

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飯島公園のすべり台の上から見た和歌江島

住吉城址

 飯島公園内にある市営プールのフェンス越しに、こんな看板を見つけました。かつてプールの背後の断崖のうえにあった住吉城(すみよしじょう)についての説明ボードです。再興三浦氏の居城であったとか。1512年(永正9)、小田原を拠点に関東制覇を目指す北条早雲(1432-1519)がこの城を攻め落としたのだそうです。

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住吉城址についての説明

その他の史跡

 他の史跡もチェックします。海側のすべり台すぐ横にある、10段くらいの階段をあがり、左に小さな祠(ほこら)をみとめながら、海沿いに細い道を1分も歩くと、左側に「六角の井」(ろっかくのい)があります。鎌倉十井の一つで、縁の形が八角で、六角が鎌倉分、二角が小坪分といわれています。強弓(つよゆみ)で名高い源為朝(1139-1170)が伊豆の大島から放った矢がこの井戸に落ちて、矢じりが残ったのだとか。伊豆大島からここ「六角の井」までは60kmはあるでしょうか!?源為朝源頼朝の叔父で、江戸時代に曲亭馬琴(きょくていばきん、1767-1848)により、『椿説弓張月』(ちんせつゆみはりづき)という一代武勇外伝が書かれています。この井戸、以前は木造りの小屋で覆われていたのですが、ここ何年かはブルーシートで覆われてしまっています。
 「六角の井」から細い道をさらに進んで、飯島のバス停のほうへ歩き、右手にある、鎌倉第一中学校につづく坂道を少し上がると、鎌倉市指定史跡「内藤家墓地」があります。日向延岡の城主内藤家の歴代の墓地で、江戸時代初期以来、代々のものがここに集まっています。大きいお墓がたくさん並んでいて、初めて見たときは、非常に驚きました。高さ3メートルに及ぶ宝篋印塔(ほうきょういんとう)などが多く、大名の墓地としたは貴重なものなのだそうです。歴史好きでなくても、一見の価値はあると思います。

 今日歩いたところを、地図でまとめてみました。道しるべにどうぞ!

関連リンク

 

 最後まで読んでいただいて、有難うございました。

 さてと、次は、どの公園のベンチで雑談しようかな。

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